切迫早産から5年。今振り返るあの時①


この時期が来るといつも思い出す。切迫早産という初めての単語を聞いてから5年。振り返るとあっという間の出来事だったが、本当に無事によく生まれてきてくれたなと毎年感謝している。個人のブログにその当時記録していた不安との戦いの日々を今一度改めて振り返りたいと思う。また妻も状況を逐一iPhoneのメモ帳に残していたので、合せて振り返りたい。

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切迫早産発覚!緊急入院まで

「切迫早産 」とは、37週以降の正産期より前に生まれることをを早産といい、その状況が差し迫っていることで、何かしらの原因により、 赤ちゃんが想定外に早く生まれてしまいそうな状態を指す。

きっかけは妻の何気ない気づき

2013年10月13日(日)

3連休の中日、まもなく23時というところで今日はもう寝ようとしていた。朝から妻の体調が思わしくなかったのだが、寝ようとしたときにふと妻は出血していることに気づいた。23時に念のため産婦人科に電話をしたところ、「来てください」と言われたので急いで身支度をし、寝ている娘(当時2歳)を抱きかかえて車に乗り込んだ。

23時22分、産婦人科到着。娘は車で寝たので私は産婦人科の駐車場で車の中で待機していたのだが、診察時間がえらく長い。夜の静寂のためかものすごく長く感じ不安も覚えてくる。

23時40分をまわったころだろうか、妻から携帯で連絡があり「切迫早産の疑いがあるからここでは対応できなくて、今から別の病院に緊急搬送されて入院することになる。」との連絡を受ける。妻のメモによると、NST(ノンストレステスト)後の診察で子宮口が3センチ、子宮頸管2.3ミリという診察。一般的に子宮頸管が2.5ミリを切ると切迫早産と診断されるようだ。

切迫早産って何!?入院!?

もうお互いパニック

「とりあえず中に来て先生から詳しく聞いてほしい」と言われたものの娘をこのまま連れていくわけにもいかない。幸い産婦人科から実家まで徒歩5分と近かったので、真夜中であったが実家にに電話をし、母親にきてもらう。今思えば本当に感謝である。

0時ごろにようやく説明を受けたが何を言われたかほとんど覚えていない。覚えているのは切迫早産と何かという説明やこれから運ばれる病院の場所、今後の手続き等を紙で受け取る、とブログに書いていたが描写が本当に思い出せない。

救急車が産婦人科に到着し、娘を母親に預け、カーナビに病院を登録し、救急車のあとを追いかける。もちろん私は法定速度なのであっという間に離されるわけだが、道中どうにかして落ち着かせようにも落ち着かない。

初めて行く病院。旧館と新館があり夜間のため入り口もよくわからないし、人もいない。やっと職員の人を発見し運ばれた先へたどり着く。この時日付変わって1時前

待ち時間が長かったので、その間にiPhoneでいろいろ検索。入院期間のことや費用のことを予備知識として詰め込む。目の当たりにする現実を受け入れられず戸惑い、時間が過ぎるのが遅い。とりあえずもう生まれてくるまでは家に帰れないことは確かだと確認。

2時前にようやく妻に会うことができ容態の確認と担当医師からの説明。お腹の張り止めの点滴をしていることと、右肩にステロイド注射をしたとのこと。そして現在の状況と今後について説明を受ける。ポイントとしては

  • 予定日は12月24日でまだあと2ヶ月は本来は生まれてきてはいけない。現在お腹の子の体重は1500gに満たない状況。
  • できる限り出てこないように引き延ばすため点滴の継続や薬の投与、そして絶対安静
  • 目先の目標としては1500gを超えるまでなんとかお腹の中に居させる*。

一通り説明を受け気がつけば朝の4時。4時半過ぎには帰宅できたものの、妻も子もいない布団に寂しさを感じながら寝床につくわけだが、3時間も寝れずに7時半に起床する。

1人目が超安産だっただけに、受け入れられない現実に不安が止まらない。翌日は月曜日だったが体育の日で祝日だったのが気持ちを切り替える上で救いだった。

パート②へ続く。