【旧ハンター住宅】映画「鋼の錬金術」でも使用された国指定重要文化財


王子動物園内にある一際変わった存在感を示している旧ハンター住宅。今までここは入れない場所だと思っていたのですが、実は平成29年度までは4月・5月・10月のみ公開しており、たまたまタイミングが合っていないだけのようでした。
そして今年度よりこの期間に加えて6月・7月・9月・11月・12月・3月の土日祝にも公開されているとのことで、今回10月に行った時に初めて普通に中に入ることができました。

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旧ハンター住宅とは

旧ハンター住宅は、もと神戸市中央区北野町3丁目にあった建物を昭和38年に現在地に移築したもので、現存する神戸の異人館の中では最大の規模のものの1つです。
最初に作られたのがいつかは、はっきりとわかっていませんが、明治22年頃ドイツ人のA.グレッピー氏が英国人の技師に依頼して作ったものといわれています。
その後、英国人のE.H.ハンター氏が、北野町背後の高台に居宅を作るにあたり、この建物を買い取り、改造して現在にみる建造物に仕上げたもので、棟札に「上棟式範多氏」「40年5月吉日 棟梁芝嶋吉 建」と墨書きされています。(神戸市HPより)


旧ハンター住宅は昭和38年9月30日に現在の王子動物園内に移築された後、昭和39年3月9日に県指定重要文化財に指定されました。昭和41年6月11日に国指定重要文化財として保存処置が講じられています。

ハンター(狩猟家)と勘違いしていた過去

名前からして、その昔この辺りで狩猟をしていた人の家だとこれまでずっと勘違いしていましたが、今回中に入って初めてハンターというのが人名であることを知りました。恥ずかしい話だがこの勘違い、結構している人は多いように感じています。最初に建築された神戸市中央区の北野町にはハンター坂という地名が名残として今でも残っており、コンビニやレストランにもハンター坂店というお店がいくつかあります。

E・H・ハンター氏とは

エドワード・ハズレット・ハンター(Edward-Haslette Hunter)氏は、1843年(弘化3年)英国アイルランド州ロンドンデリー市に生れ、1864年(慶応元年)21才のとき横浜の商社員となり、神戸港が開港されるとすぐに神戸に移り、小野浜にできた造船所に入りました。
その後独立してE・H・ハンター商会を設立する一方、大阪安治川口に大阪鉄工所(現在の日立造船)を創設するなどのほか、精機・精米・煉瓦・煙草などの会社をつくり、当時のわが国産業界に大きな貢献をしました。
ハンター氏夫人は、大阪の薬種問屋平野氏の娘愛子で、夫をたすけると共に、婦人会・日本済生会・神戸保育院などの公共事業に力を尽くし、賢夫人の誉れが高い方でした。
ハンター氏は1917年75才で永眠し、神戸の再度山修法ヶ原外人墓地に葬られています。(王子動物園HPより)

室内は当時の裕福な外国人の生活の一端をうかがえる


1階は玄関ホールから中廊下、応接室や食堂などがあり、各出入り口の上にはブロークン・ベジメントと呼ばれる額縁や大理石のマントル・ピース、チークの床材、ブロンズのシャンデリアなど、当時の豪華な面影をしのばせています。

玄関は建物西側に位置しています。

1階応接室のシャンデリア。

2階のシャンデリアは1階の物と少し形状が違います。

2階居間。当時の裕福さが垣間見れる。

2階の中央にある元寝室。現在はテーブルに4つの椅子が並べられている。

2階西側に位置する元寝室。こちらも現在はテーブルと椅子が並べられている。

2階ベランダの上に位置する窓格子

2階ベランダは観覧車が見えます。

実写版の映画「鋼の錬金術師」のロケでも使用

2017年12月に公開された映画「鋼の錬金術師」ではこの劇中でエドやウィンリィ、アルが過ごしたタッカー邸は旧ハンター住宅がロケ地となっています。旧ハンター住宅をそのままタッカーの家に見立てて使用されており、室内はタッカーが過ごしているリビングという設定で美術装飾が施され、撮影が行われました。

この前月には公開イベントも王子動物園内でやっていたようで、鋼の錬金術師の原作漫画を全て所有している私は全く知らず、今回初めて知り後悔しています(泣)

今年の4月にBlu-rayとDVDが発売されているのでチェックしてみてください。

まとめ

王子動物園の一角にある少し変わった空間。いつでも入れるわけではないので、タイミングが合えばぜひ寄っていただきたい。少しタイムスリップしたような雰囲気で、ひとときの休息になるに違いない。

撮影に使った機材